下記が探訪ルートになります。
総距離:6.90km
合計時間:2時間12分38秒
平均速度:4.15km/時
20200123_01
今昔マップでの1/20000「大阪東北部」明治41年測図・明治44.10.30、1/20000「生駒山」明治41年測図・大正1.8.30発行の国土地理院地図にGPSの軌跡を表示させたものです、
20200123_40
2020/1/23、12:15、JR学研都市線(片町線)徳庵駅から枝切街道、古堤街道を歩いて水準点を探訪することに、雨模様だったのが早くに回復したので性懲りも無く出かけたものです、(´Д`)、しかし中途半端な天候回復だったので途中土砂降りに遭遇することに、(´・ω・`)
20200123_DSCN6192
駅横の車道がr15、八尾市の八尾街道が起点となる枝切街道、東大阪市と大阪市鶴見区の境界線となります、ここに限らず旧街道って自治体境界線となっている所が多いです、
20200123_DSCN6194
12:25、枝切街道をそのまま歩いて徳庵ポンプ場前に到着、入口フェンスに「一等水準点」のボード、どなたが設置したものか、入口フェンスは来訪時このように開いておりましたが何故なのか、
20200123_DSCN6197
撮影するためにちょいと入らせてもらい矢印の所のマンホール下に水準点、第10745号が設置されています、残念ながらマンホールは開きませんでした、
20200123_DSCN6198
P2.2、一等水準点、第10745号、選点、設置(旧設置は昭和9年)、観測は昭和47年、平成年21年に基準点現況調査が行われています、不思議なのは隣接点の記載が西側の第10746号(寝屋川北側の古堤街道沿い、距離1.7km)の記載だけでこれから向う第10744号(こちらも古堤街道沿い)の記載がないこと、昭和9年の旧設置場所がどこかは不明ですがそこら辺が関わっているのかも、
20200123_DSCN6199
12:30、以前歩いた際は徳庵橋を渡ったので今回は徳庵小橋、寝屋川改修前に枝切街道がどの辺を通過して古堤街道と合流していたのか、
20200123_DSCN6202
明治期、江戸期、時代によって様変わりしているかと思いますが、
20200123_DSCN6196
12:32、地形図ではr15が左側から右側へUターンする様な記載となっていますがyahoo!地図、グーグルマップではこのまま後方に進んで左折して古堤街道に入るようになってます、何故なのか、ちなみに矢印の所に移設された道標を発見、
20200123_DSCN6206
12:33、よもやこのような所に道標があるとは、前方の古堤街道の角にあったのではないかと思われます、
20200123_DSCN6207
すぐ、京やなぎ谷、右、すみ○ざ○ざき、一部読めないですね、<右側>慶應元年(1865年)建立、<左側>常夜燈、<後方>願力講徳庵世話方、
20200123_DSCN6209
12:36、前方京橋方面からの古堤街道はここで左折、上記の道標兼常夜燈はこの角にあったのでは、かつてはこの辺りの左側から枝切街道も合流してたのでは、
20200123_DSCN6215
この辺りからは旧街道らしい雰囲気が随分残ってます、
20200123_DSCN6216
20200123_DSCN6217
12:43、r15を進んで中茶屋の道標設置場所に到着、枝切街道(r15)はここを左方向へ、
20200123_DSCN6220
左、京みち、右、ならみち、宝暦十一辛巳年(1761年)、もろぐち村中○や、
20200123_DSCN6221
舗装されて周りの状態は変わっても道の形は昔のまま、
20200123_DSCN6226
12:51、茨田小学校の建設に伴って古堤街道はここで一旦消失、元々は自治体境界線上にあったようですが、東側は鴻池スカイランド横から住道駅西側までそのまま残っています、右側に鴻池水みらいセンターと言う施設がありちょうど境界線上に小道があるようで街道跡かと向ってみたんですが敷地内の小道フェンス入口に鍵が掛かっており通行は不可でした、
ここから北側から廻って三角点、諸福中に向ってみることに、
20200123_DSCN6227
13:10、三角点、諸福中の設置場所である諸福中学校グラウンド横に到着、ブロック塀がネットフェンスに変更されております、(・∀・)、左隣がコジマ電機でちなみにここは駐車場入口になります、土曜日曜祝日なんかは入れないかも、
20200123_DSCN6229
P1.1、四等三角点、諸福中、選点、設置、観測は平成17年(新設)、GPS測量が行われています、点の記の添付画像ではブロック塀でしたので無理かな、と思いつつ駄目もとで訪れてみますとネットフェンスでありましたので撮影できたもの、撮影後すぐさま撤収したのは言うまでもないです、加えて撮影後雨が本降り状態に、一応傘を持って来てヨカタ、(;´Д`) 
20200123_DSCN6231
自動車到達地点は「諸福中学校内」、歩道状況は-、徒歩時間は-、
20200123_10
13:21、車道を進んで東側の消失先前に到着、小学校やら下水処理施設の建設やら公共施設の建設に伴っての事ですのでこりゃ仕方ないですね、
20200123_DSCN6234
街道歩きを再開、幸い雨足が弱くなってきました、
20200123_DSCN6236
13:23、雨宿りと言うことでもないですがちょいと一息を兼ねて鴻池スカイランドへ(HPはこちら)、エレベーターで三階まで向うので一応GPSを停止させます、建物内を通過すれば軌跡がぐちゃぐちゃになることがあります故、
20200123_DSCN6240
13:30、雨なので当然ながら来訪者はいません、
20200123_DSCN6237
なんとなく微妙に中途半端な施設と言った感じがしますが、
20200123_DSCN6238
古堤街道に戻って次の水準点に向うことに、この時点では水準点はまだ認識してたのです、
20200123_DSCN6241
20200123_DSCN6242
13:38、地蔵堂前に到着、ここに古堤街道の案内板が設置されています、
20200123_DSCN6243
珍らしく熱心に案内板を読んでおりましたらたぶんここで水準点のことを失念したようで、(´Д`)、
20200123_DSCN6248
13:47、矢印奥の所に水準点、第10744号があるのですが、雰囲気が残ってるなぁ、と感心して撮影してますと水準点の事は完全に忘却の彼方へ、
20200123_DSCN6251
13:53、案内板に記載のあるおかげ燈篭と道標の設置場所、
20200123_DSCN6257
壁面のあるのは案内板かと思いきや某政党の広報板、
20200123_DSCN6258
南、右、京やえた、星田妙見山、<左側>西、すぐ、のざき、い○いせ、かう○山、<右側>東、すぐ、大坂住吉、左、八尾久宝寺、後方の北は建物がすぐ横なので見えません、
20200123_DSCN6259
古堤街道の案内板にも記載があり堤防の上に街道があったと言う事もありますが北側は低地となっていて今もその名残が残っています、左側がこの先ずーっと低いです、
20200123_DSCN6263
低いです、
20200123_DSCN6265
北側へ車道が向うほど低くなっていきます、感心して左方向ばかり見てましたらふと水準点の事を思い出し、orz、時既に遅すぎ離れすぎてます、(ノ∀`)アチャー
20200123_DSCN6266
14:04、聖徳太子堂、
20200123_DSCN6267
14:05、大神社、
20200123_DSCN6268
20200123_DSCN6269
14:24、住道駅に通じる高架橋横に到着、かつてはこの先は寝屋川の上を通過(していたのであろうか)して商店街に向っていましたが今は道は消失、
20200123_DSCN6276
矢印の所(商店街入口)に向って街道は続いていたんじゃないかと思われます、
20200123_DSCN6277
14:27、JR住道駅に到着、水準点、第10744号の撮影を忘れたので戻って歩き直すのもめんどくさいので鴻池新田駅から向かう事に、orz
20200123_DSCN6278
14:51、JR鴻池新田駅から水準点、第10744号に向かう事に、
20200123_DSCN6280
鴻池新田駅からですと0.78km(往路の距離)でした、
20200123_02
15:02、水準点、第10744号前に到着、古街道の雰囲気を味わっていた場所、(;´Д`) 
20200123_DSCN6283
P2.4、一等水準点、第10744号、選点、設置は昭和8年、観測は昭和9年、平成年21年に基準点現況調査が行われています、こちらも不思議なのは隣接点の記載が東側の第10743号(寝屋川沿いの河内街道沿い、2.4km)だけで第10745号の記載がないこと、寝屋川沿いの水準点かと思いますと四條畷駅より北側は河内街道から離れて今度は東高野街道沿いに設置されていて、なんだか良く判りません、第10745と第10744号の間には大きな事情が有りそうです、そんな大層なもんじゃないか、(´Д`)
20200123_DSCN6287
意外と早くに天候が回復しましたので性懲りも無く出かける事に、とにかく自宅でジッとできない性癖でございまして救われない性格であります、(;´Д`) 、ちなみに古堤街道を歩くのは2012年12月以来なので7年と1ヶ月振り、新たに発見できたのは寝屋川改修前のかつての枝切街道との合流分岐にあったと思われる道標、以前は徳庵橋を渡ったので移設された道標地点の横には向かっておりませんで、一部の文言は徳庵橋付近から六郷井路に沿って進んで途中から南下して瓢箪山の東高野街道に向う補助街道の目的地を指し示している道標なのかも、
しかし途中水準点の撮影をすっかり忘れるとは.........(´Д`)、古街道の雰囲気が良くてついつい失念、地蔵堂に到着位までは水準点位置を認識しておったのですがだめですなぁ、割と雰囲気の残っている古道なので調子に乗って歩き過ぎまして忘却の彼方へです、