下記が山行ルートになります。
総距離:6.96km
合計時間:2時間45分54秒
平均速度:3.43km/時
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今昔マップでの1/20000「高田」明治41年測図・明治43.11.30発行の国土地理院地図にGPSの軌跡を表示させたものです、残念ながら明治末期分での今昔マップではこれより南側はカバーしてません、
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2020/2/1、7:37、近鉄橿原線飛鳥駅から山行開始、いつもはR169を走行する際に眺めるだけでしたが今回初めて訪れまして、東側に石舞台古墳等があると言うことで駅前は目立って広いのですが駅構内等は意外と地味でした、
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7:40、意図的に西側は市街地の中を通過することに、
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7:42、地形図にも記載のある岩屋山古墳、天辺が岩屋山と呼ばれてたんでしょうかね、一応天辺にも登ってみたんですが天辺まで踏跡はしっかり、
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岩屋山頂上?、(゚д゚ ;)、普通の小山でありますな、
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市街地を歩いて行きますと前方に道標、左側の案内板には「←岩屋山古墳、50m、飛鳥駅、200m、牽牛子塚古墳、650m、真弓鑵子塚古墳、1.0km」
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7:42、右、ちはら、ごせ、○んかうさん、
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左、おかてら、こせ、○ふの○、いせ、
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安政五年(1858年)午年、八月吉日、
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7:55、許世都比古命神社に立寄っていつものお参りであります、
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8:05、車道は車両通行量が多いので旧道?を進んで境界線にルートがあるかどうかの確認をすることに、あればそのまま貝吹山へ向かいます、バイクは走行可能ですがほぼ農道なので止めた方が無難です、途中に害獣フェンスも有ります故、
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8:07、分岐地点、お地蔵様型の道標があります、
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左、御所、右、石舞台?、
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8:09、牽牛子塚古墳は整備中との案内板がありますので(右方向)このまま直進、
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8:11、途中に害獣避けのフェンスが、鍵は掛かってないのでチェーンを巻いて閉めて置くことになっています、
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8:14、右方向に破線道、「益田岩船→」の案内板があります、
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左の作業道に少し入って尾根を攀じ登って行きます、最初は多少ブッシュがあるものの歩けそうでしたが、
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8:19、しばらく進むと如何ともし難い状態、たぶん歩行者は皆無の様な感じ、無理して進んでも仕方ないので撤収します、
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作業道から車道に行けるかと進みますと、
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8:25、こちらは酷い倒木状態、むちゃくちゃな状態で少し進んでみたのですがどうしようもないのでこれまた撤収、
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途中で農地横の作業道を利用して下の農道に下りることに、
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8:49、高取町に入って貝吹山城址への登山道入山地点に到着、
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左側の古墳はどちらの物なのか、たぶん真弓鑵子塚古墳なんでしょうな、
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一応ここまで来て右側から廻り込んでみたんですが、特にどうと言う事も無く、
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8:54、貝吹山城址へ向うことに、電柵を越えて左方向に登っていきます、この手前にも左方向に小道がありますが行き止まりです、
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登山道自体ははっきりとして歩きやすいです、
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殆どが竹林の中の登山道、
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歩いても歩いても竹林の中、
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登りに入っても竹林の中、
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竹林を抜けて上り詰めた所の前方に頂上が見えてきまして、
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まさしく山城といった状態の山容、今歩いてきた登山道もかつては人の移動、物資の運搬に利用されていたのかも、
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9:09、貝吹山(城址)頂上に到着、
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いつもの山名版が他を併せて4枚、
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P209.9、三等三角点、貝吹山、選点、設置は明治36年、観測は平成13年(改測、旧観測は明治36年)、平成21年に基準点現況調査が行われています、何となくここしかない、と言った所に設置されています、
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自動車到達地点は「中川病院東側の道路脇」、歩道状況は山道(巾1.0m)、徒歩時間は約25分(約700m)、
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9:17、帰路は北側のルートを探ることに、白壁塚古墳の案内板方向へ、無ければ戻って三角点、寺崎に向ってからJR掖上駅か近鉄市尾駅に向うつもりでいたのですが、
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笹が目立つんですが不明瞭な所はそれ程無くそれなりに歩かれているようで、しかも割と短い間隔で赤テープが続きます、
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9:22、矢印の所に三方向の表示が、
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肝心の所が読めません(下方向)、(´・ω・`)、白壁塚古墳方面は華麗にスルー、
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それでも赤テープが短い間隔で巻かれているので笹が出張っている所でも判り易いです、
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9:28、赤テープが三ヶ所、前方に春日神社方向のルートがあるのかもしれませんが、ブッシュが結構あって歩きにくそうです、
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普通に赤テープに従って尾根ルートを進みます、
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9:34、この辺りから右方向に市街地が見えてきます、
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白橿地区の造成地や団地がすぐそこに、
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9:40、もうすぐ破線道に合流か、と思ってましたら切通しの峠の所に下りる事に、
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東方向を見ますと上に石柱がありまして破線道は古道のようです、北側にもルートが続いているのかは未確認です、
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テープは東方向に張られていましたが西側に進むことに、遥か彼方に生駒山、
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9:47、農地に入りますと前方に畝傍山、
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9:51、立派なブロック造りにお地蔵様があります、
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10:02、三角点、白橿の設置されている益田池児童公園前に到着、自動車到達地点は公園入口(近鉄橿原神宮前駅より西方約1.0kmにて到達)となっていますがここ以外にも入口はあります、
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益田池の堤に関する案内板、
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点の記の添付画像を参考に上部に進みます、
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10:05、三角点、白橿の設置場所に到着、
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P80.5、四等三角点、白橿、選点、設置、観測は平成18年(新設)、GPS測量が行われています、残念ながら蓋は開きませんでした、
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10:23、後はr133を近鉄橿原神宮前駅までのんびり歩いて山行は終了、乗り降りするのはいつ以来か記憶に無いのであります、たぶん洟垂れ小僧の頃以来か、
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いつもの奈良の住んで居ります両親宅での所用のための早朝からちょいと山歩きなんですが、やはり歴史ある地域でもありますので少し裏道に入りますと道標等があっちこっちに、古道・道標ヲタとしては(・∀・)しながら撮影する訳であります、
自治体境界線の上にルートが在るかと最初進んでみたもののブッシュが激しく無さそうな感じ、隣の竹林もたぶん普通に車道へ進めたんじゃないかと思いますが(車道横に作業地らしき場所有り)、倒木がえげつなく(たぶん2年前の台風24号か)これまた断念、これなら最初から自動車到達地点に進めばヨカタ、なんですがいつもの駄目もとなのでしょうがないですね、北側は春日神社辺りへのルートがあるのかと思いきや北側の破線道からのルートがしっかりあるとは思いませんで、
しかし、稜線を挟んで北側と南側の山容がえらく違っているのは歩いていてなかなか面白かったです、(゚∀゚)